分析Theme

 連邦最高裁の保守化ということにとどまらずに、このホームページが掲げる「共和党最高裁」の出現を前提に、分析を行う場合には、少なくとも以下の4点が重要となるといえます。

 司法審査理論と保守化 

 第1に、司法審査理論と保守化という問題があげられます。この点については、オリジナリズムと「生ける憲法論」との対比が重要となっています。オリジナリズムは、当初スカリア裁判官の提唱した考え方でしたが、現在の連邦最高裁の中で保守派裁判官のとる憲法解釈論となっています。現職の裁判官の中では、トーマス裁判官がオリジナリズムの代表的な提唱者として知られていますが、バレット裁判官も生粋のオリジナリストとして知られています。
 このオリジナリズムに対抗する解釈論として、「生ける憲法論」が存在します。「生ける憲法論」はリベラル派の裁判官によって好まれている考え方です。「共和党最高裁」という議論の点からは、主流派の憲法解釈論を支えるオリジナリズムの内容についての精査が必要になります。もっとも、オリジナリズムといっても、当初の議論とは異なる内容も含むようになってきていることやオリジナリズムと「生ける憲法論」を融合しようとする立場も見られることなどから、その内容を十分理解することが肝要になっています。
 「共和党最高裁」という保守化した連邦最高裁の憲法解釈を支えるオリジナリズムは、それが出現した当初はあまり重要視されず、むしろその欠陥が指摘されていました。しかし、すでに述べたように、最近のオリジナリズムはその内容や性格を変化させ複雑化してきており、簡単にそれを批判することは難しくなっています。もっとも、共和党最高裁の今後を考える上で、オリジナリズムの限界などを意識した議論を重視していくことが必要であると考えられます。

 連邦最高裁の改革案 

第2の分析テーマは、連邦最高裁の改革案です。連邦最高裁の改革については、ニューディール期に、ルーズヴェルト大統領によって提唱されたcourt packing planが広く知られています。1930年中頃までの連邦最高裁は、保守的で高齢な裁判官が連邦最高裁で多数派を占めていました。しかし、当時のアメリカは、経済的大恐慌で著しい経済的、社会的混乱の中にありました。そのため、これまでの保守的な経済政策にかえて、積極的な経済政策や社会保障政策が求められていました。そのような中で登場したのがルーズヴェルト大統領によって提唱されたニューディール政策であり、それを実現するためのニューディール立法でした。
ニューディール期の保守的な連邦最高裁は、積極的な経済政策を体現するニューディール立法を次々と違憲としました。これに対して、ルーズヴェルト大統領は連邦最高裁の改革を考えましたが、連邦最高裁に対して国民は、個々の判決に対しては不満を持っていたものの、連邦最高裁への信頼もなお有していたため、ルーズヴェルト大統領は連邦最高裁の裁判官の平均年齢が70歳を超えることに着目して、連邦最高裁裁判官を増員し、連邦最高裁の多数派をニューディール支持派に変えようと図りました。最終的には、court packing planは実現しなかったものの、中間派の裁判官がニューディール政策支持に代わり、高齢の裁判官も退官するなどして、連邦最高裁はニューディール政策を支持するようになりました。
現在の連邦最高裁についても、2020年の大統領選挙で当選したバイデン大統領が就任後連邦最高裁の改革を議論する大統領諮問委員会を設置するなどして、連邦最高裁の改革論が学界を中心に議論をされました。また、最近では再選を目指すバイデン大統領が連邦最高裁の改革などに再度言及することも見られるようになりました。もっとも、大統領諮問委員会の報告書などを見ると、その内容はこれまでの改革の議論を集約し分析することがメインで、具体的な改革案が提示されたわけではありません。
ニューディール期と現在の連邦最高裁の改革議論には、いくつかの相違があります。第1に、ニューディール期には民主党が大統領と連邦議会の上下院の多数派を掌握していたことです。現在の大統領はリベラルな民主党のバイデン大統領であり、連邦議会の上院も民主党が多数派となっています。もっとも共和党の議席数は僅差で共和党が多数派となっています。いま述べたように、連邦議会の上院は民主党が多数派ですが、下院は共和党が多数派となっています。そうはいっても、上院も下院もその差は僅差にすぎず、仮に大統領が保守的な連邦最高裁の増員を考えたとしても、連邦議会で連邦最高裁の改革案が通ることは困難だとみられます。
第2に、現在の連邦最高裁裁判官の平均年齢は、ニューディール期の連邦最高裁の裁判官が70歳以上の「9人の老人」と呼ばれたのと比べると低いといえます。ちなみに、現在の連邦最高裁裁判官の生年月日と年齢は、以下の通りです。ロバーツ(John G. Roberts, Jr.)首席裁判官(1955年1月27日生まれ、69歳)、トーマス(Clarence Thomas)裁判官(1948年6月23日生まれ、76歳)、アリトー(Samuel A. Alito)裁判官(1950年4月1日生まれ、74歳)、ソトマイヨール(Sonia Sotomayor)裁判官(1954年6月25日生まれ、70歳)ケーガン(Elena Kagan)裁判官(1960年4月28日生まれ、64歳)、ゴーサッチ(Neil M. Gorsuch)裁判官(1967年8月29日生まれ、57歳)、カバノー(Brett M. Kavanaugh)裁判官(1965年2月12日生まれ、59歳)、バレット(Amy Coney Barrett)裁判官(1972年1月28日生まれ、52歳)、ジャクソン(Kentaji Brown Jackson)裁判官(1970年9月14日生まれ、54歳)。したがって、その平均年齢は63.8歳であり、目立って高齢というわけではありません。その意味で、高齢という名目的な理由で裁判官の増員を図ることは無理であるといえます。
いま述べたような政治状況や裁判官の平均年齢などを見ると、連邦最高裁の改革は、現実にはかなり厳しいとみることができます。もっとも、連邦最高裁の改革は、ニューディールの時期におけるような人員構成の変化を目的とする場合と、連邦最高裁での判断過程などの変更に力を注ぐ場合があり、一概にすべて否定することはできないといえます。実際、政治状況は現在分断化状況にあるとしても、4年後の大統領選挙やその後の選挙などによって大きく変化する可能性は、残っていると思われます。
むしろ、共和党最高裁という観点から重要なことは、現在の連邦最高裁の中で、保守派の裁判官であるゴーサッチ、カバノー、バレットの各裁判官が50代であり、今後20年程度は連邦最高裁に在職することが予想される点にあります。しかも、これら3名の裁判官は、アメリカの保守的法律家団体であるフェデラリスト協会と強い結びつきがあり、その強固な保守的信念を基にした憲法解釈を貫き通す可能性があります。さらに、これらの保守的裁判官が中心となって従来のリベラルな憲法判断を覆した場合、それを外部から批判できても、一度任命過程を経ている現職の裁判官を弾劾するということはきわめて困難だといえます。その意味では、連邦最高裁判所の改革は、連邦最高裁への裁判官の任命以前の任命過程の改革が重要なポイントになることが予想されます。

 連邦最高裁と行政国家 

 第3の分析テーマとして、保守的な連邦最高裁が行政国家化に対して、どのような姿勢をとるかという「連邦最高裁と行政国家」ということがあげられます。行政国家というと、20世紀以後積極的な経済政策や社会保障政策が求められる中で、行政府の役割が高まり、それまでの19世紀に見られた議会が国家の中心的な存在と考えられた立法国家に対比して用いられる概念と理解されてきた。そして、そのような行政国家においては、大統領や内閣が政府内の行政機関を主導する地位にあるととらえられてきました。
 ただ、アメリカの場合には大統領の執行府と政府内の行政機関とが区別され、行政国家という場合には、行政機関による法規範の制定、解釈そして執行が国家の活動の中で大きな部分を占めるような状態を意味すると見られています。その意味では、このような行政機関による活動を可能にした法理として、立法権の非委任法理(Nondelegation of Lawmaing)が用いられなくなったことが、大きな意味をもっていたといえます。このことによって、議会が独占してきた立法権が行政権へと移っていったからです。
 もう一つ行政国家化を推進してきた原因として、裁判所が行政機関の判断に対して敬譲を払うようになったことがあげられます。立法権が議会から行政機関に委任されるようになり、行政機関が規則の形で法規範を制定し、それを解釈し、規則をめぐる紛争を解決する役割を担うようになったからです。もっとも、そこでは法解釈や規則に関する法的紛争を解決する役割を裁判所も担っているため、行政機関の役割との調整が必要になります。その点、アメリカでは、長く行政機関の判断を尊重する姿勢がとられてきましたが、保守的な連邦最高裁は2023年度開廷期における一連の判決で、その姿勢を大きく変更しています。
 それらの判決の中で最も注目されるのが、シェブロン(Chevron)法理を覆したLoper Bright Enterprises v. Raimondoです。シェブロン法理とは、連邦最高裁が1984年のChevron U.S.A., Inc. v. Natural Resources Defense Council, Inc.で明らかにしたもので、不明瞭で解釈に余地のある法律については、行政機関によるその法律の解釈が合理的であるなら、裁判所は行政機関の解釈を尊重するべきであるという法理です。シェブロン法理の背景には、複雑な事象を対象にする法律について、連邦議会が意図的に行政機関による解釈の余地を残したということがありました。シェブロン法理の下で、環境保護から金融まで幅広い分野で、行政機関による柔軟な法解釈の下で非常に多くの規則が制定され、裁判所は行政機関の法解釈と規則を是認してきました。
 しかし、近年シェブロン法理について、保守的な連邦最高裁の下でその範囲が制限されるようになってきていました。たとえば、その例として政治的または経済的に重要な争点が法律に含まれる場合には、その旨を明確に述べない限り、連邦議会はそれらの争点の判断を行政機関に委任したことにはならないとした「主要な問題(Major Questions)」の法理を明らかにした判決であるWest Virginia v. Environmental Protection Agencyなどがあげられます。もっとも、これら一連の判決はシェブロン法理の範囲を制限するにとどまるものでした。
これに対して、Loper Bright判決は、シェブロン法理を覆した重要な判決です。この判決で対象となった法律は、外国漁船による違法操業に対処するために制定されたMagnuson-Stevens Fishery Conservation and Management(MSA)法です。この法律による商務長官からの権限の委任を受けて、アメリカ海洋漁業局(National Marine Fisheries Service)は、規則を制定しました。ところが、Loper Bright Enterprisesらの原告は、操業漁船に政府の認証した第三者の海洋観察者と契約して一日当たり710ドルを支払うように求めた規則は法律による委任を受けていないこと、また海洋漁業局の規則制定手続は違法であるとして訴訟を提起しました。これに対して、連邦地裁は、シェブロン法理を適用し略式判決で政府勝訴の判断を下しました。
 この事件の主たる争点は、シェブロン判決を破棄するべきなのかでした。この点について、ロバーツ首席裁判官の執筆する6対3の法廷意見は、つぎのように結論付けました。「裁判所は行政機関が法律上の権限の範囲内で活動したか否かについて、行政手続法の求めるように、独立した判断を行使しなければならない。そのためには執行府の判断を注意深く見ることが求められる。そして、特定の法律がその権限を憲法上の限界内で委任するときには、裁判所はその委任を尊重しなければならない。しかし、裁判所は、たんに法律が不明瞭であるがゆえに行政機関の法解釈に敬譲を払うことは行政手続法の下でも必要ではない。」
 Loper Bright判決の与える影響は大きいものがあります。それは、これまでのように行政機関がシェブロン判決に依拠して、その判断の合法性を主張できなくなり、逆に行政機関の規則が不明瞭な法の解釈に基づくものであるとして訴訟を提起される可能性が大きくなったからです。その予想される訴訟の範囲は、環境、医療、消費者関連の法律に基づいて行政機関が規制を制定、施行してきた広い領域に及ぶことが予想されています。 
このような「行政国家」に対する連邦最高裁の厳しい姿勢は、共和党最高裁の観点からは2つの注目点が指摘できます。第1に、行政国家を否定するという立場は、トランプ大統領が誕生した時に、保守派から主張されていたことで、そのこと自体に注目するだけでは十分ではありません。ただ、そこでの一つの疑問は、行政国家を否定し行政機関の活動を制約する際に、それをだれが統制するかということです。この点、これまで行政機関をコントロールしてきたのは執行府、すなわち大統領とされてきました。ただ、今回の判決により、行政機関の役割には大きな制約が課されたものの、政府に対する人々の要求がこれまでと変わらないとすれば、大統領の権限は相対的に大きなものとなることが予想されます。
この点に関連して注目されるのが、トーマス裁判官の同意意見です。トーマス意見は、シェブロン法理が憲法の権力分立原則に反するという根本的な欠陥を有するから破棄すべきであるとします。トーマス裁判官によれば、憲法起草者は個人の自由を実践的にそして真に保障するために、統治の3部門に立法、執行、司法の各権限を分配する憲法を起草したとします。そして、トーマス裁判官はシェブロン法理がこの権力分立を2つの方法で危うくしているとします。それは、裁判所に与えられている司法権を抑制する形で、また同時に行政機関の執行権を憲法の制限を超える形で拡張する形で傷つけてきたとするのです。
 このトーマス裁判官の見解は、ニューディール以前の国家体制を想起させますが、その後のアメリカの国家体制の変遷の歴史を想うとき、このような古典的権力分立観では、行政国家化を阻止することは困難のように思えます。現実には大統領の権限を拡大して、そのもとにある行政機関をコントロールすることになるのでないか、そうであるとすると、大統領を止めるのは司法権が与えられている裁判所、とくに連邦最高裁の役割といえそうですが、それが共和党最高裁で可能なのか、検討すべき点が残るように思います。

 連邦最高裁の正当性 

 第4の分析テーマとして、共和党最高裁としての連邦最高裁の正当性の問題がありますが、それについてはすでに論文(大澤秀介「統合から分断へ アメリカ連邦最高裁の現在地」『國士舘法學』56号(2023年)81頁―113頁)の形で発表してありますので、そちらをご覧ください。